言葉とは何だろうか。声を失うことに、どういう意味があるのだろうか。
The Piano
監督:ジェーン・カンピオン
出演:ホリー・ハンター
ハーヴェイ・カイテル
サム・ニール
アンナ・パキン
あらすじ
6歳の頃に、言葉を失ったエイダは、父親が勝手に決めた縁談により、幼い娘フローラを連れて、ニュージーランドに移り住むことになる。
上陸した日は、天候が悪くて迎えが来ず、2人は海岸で一夜を明かす。
翌朝、ようやく結婚相手のスチュアートが迎えに来るのだが、ピアノは重過ぎると、海岸に置き去りにしてしまう。
ある日、エイダは、スチュアートの仕事仲間で、先住民と暮らすべインズに、ピアノのある海岸までの道案内を頼む。
エイダとピアノに心奪われたべインズは、スチュアートからピアノを買い取り、エイダに黒鍵の数だけレッスンをするよう依頼する。
感じたこと
20数年前に劇場で見た『ピアノ・レッスン』。
その映像と音楽の衝撃は、今も変わらない。
海辺に残された1台のピアノ。
外部からの侵入を拒む激しい波と切り立った岸壁。そして、漂う湿った空気感。
本来、そこに音楽は不要だ。
映像の美しさだけで、完結しているはずなのに、響き渡るピアノの音色。
印象は異なるが、八木重吉が詠った『素朴な琴』と類似している。
ただ、それは、美しい自然とピアノとの関係性であり、主人公エイダの心境とは異なる。
彼女にとって、そこは、「この世の果て」でしかない。
当時の女性にとっては、辺境の地ニュージーランドを運命として受け入れるしかないのだが、エイダは、ただ諦めて流されるのではなく、強い意志を持って、つまり抵抗しつつ、受け入れているのだ。
6歳の頃から、自らの意志で話すことをやめ、ピアノによって、自己表現することを選んだ。
喜怒哀楽がないわけではない。あくまで、心の奥底にあるものを、ピアノで奏でるのだ。
それは、とても幸せな事だと思う。普通、人は心の奥底に何があるか分からないし、当然、それを表現することはできない。
20数年前の私は、エイダに強い憧れを抱くとともに、エイダに拒絶される夫スチュアートの嫉妬と復讐に共鳴した。
ただ、今は、なぜか、べインズにシンパシーを感じてしまう。
辺境の地で先住民と暮らす、文盲の変態中年だと思っていたべインズ。
そんな男と自分に共通するもの。若い頃には気付かなかった「身の程」というものかもしれない。
べインズが幸せを掴むことが、素直に嬉しいのだ。
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