誰の中にも、獣がいるのだろうか。
Nocturnal Animals
監督:トム・フォード
出演:エイミー・アダムス
ジェイク・ギレンホール
マイケル・シャノン
あらすじ
アートギャラリーを営むスーザンは、仕事の成功とは裏腹に、夫との関係も冷え切っており、孤独で物足りない生活を送っていた。
そんなある日、20年前に離婚したエドワードから、発表前の小説が送られてくる。
経済力も野心もない気弱な夫であったエドワードの作品とは思えないほど、強い生命力と才能を感じたスーザンは、過去の記憶と相まって、次第にエドワードとの再会を望むようになる。
感じたこと
冒頭の映像は、芸術というには、あまりに醜く太った女性の裸体。
最後まで見ても、何を表現しているのか、またストーリーとの関連は何なのか、はっきりとしたことは判らない。(※ルシアン・フロイドの絵画が原案だと思われる。)
レアリスム系の作品と捉えれば、スーザンの現実主義との連接が考えられるし、アートギャラリーに集う着飾った人々との対比としての『捕らわれた獣』と思えなくもない。
ただ、一番しっくりくるのは、スーザンの心理の中の母性の象徴ではないだろうか。(※スーザンは母親を軽蔑している。)
とにかく、冒頭から度肝を抜かれることだけは、確かだ。
この映画は、二つの異なるストーリーが重なり合って構成されている。
1つは、スーザンの現実世界。もうひとつは、エドワードの小説。
また、スーザンの現実社会は、現在と過去の回想が交錯している。
鑑賞者の立場からすれば、どちらもリアルで、しいて言えば、小説の中の主人公トニーやトニーを助ける警部補のボビーに、感情移入してしまう。
この映画で、最も期待するのは、トニーの妻子を殺した『夜の獣たち』への復讐や、末期癌に苦しむボビーの世の中への復讐であり、決して、スーザンとエドワードの復縁ではない。
解釈は、大きく2通り考えられる。単純にエドワードの復讐。もう一つは、不眠症である『夜の獣』スーザンの妄想である。
エドワードの小説は、スーザンの現実社会とは、一見、全く異なる世界を描いているにも関わらず、スーザンの心理の中では、全て関連付けられていく。
しかし、本来、エドワードとトニーは、同一人物ではないはずだ。
スーザンに捧ぐといっても、そもそも小説は、一般に公開されるものだし、エドワードも手紙で、「君がいた頃とは違う作品に仕上がっている。」と書いている。
自分を主人公にしていない可能性が高いのだ。
この映画は、現実に存在するエドワードと、架空の世界を生きるトニーを同一人物のように描くことで、とても複雑で難解な作品になっている。
ちなみに、トニーが、もしも死んでいなかったならば、または、エドワードが自殺しているならば、エドワードの自伝ということもありえるだろう。


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